誰かに地図を求めなかった

1期生 友吉直紀
30代前半にしてニッカウヰスキーブランドのグローバル展開を担う。今月はスコットランド→パリ→NY→サンフランシスコ→ロンドンの過密日程の中、しぶしぶぶのインタビューに応えていただきました。

今どのようなお仕事をされていますか?

アサヒビール株式会社の国際部にて、グループ会社であるニッカウヰスキーの海外事業に携わっています。具体的には、海外の取引先と一緒にブランドのマーケティング戦略や販売計画を立案し、実行しています。現地の試飲会やセミナーで直接消費者の方とコミュニケーションをとったり、海外から来日するお客様を蒸留所にご案内したりする一方で、輸出の損益管理や新規市場参入の検討、中長期計画の立案、新商品開発などにも参画しています。

ちなみに日本では「マッサン」の人気でこの2、3年でウイスキーが急激に注目されたという印象があるかも知れませんが、海外ではこの10年ぐらいの間に日本のウイスキーの人気がジワジワと上がってきました。また、海外では飲み方も「ハイボール」や「水割り」はあまりメジャーではなく、日本とは違うウイスキーの世界があります。当然ですが、「マッサン」も放送されていません笑

ニッカウヰスキーは、海外ではバーでとても人気があります。大学生の時にバーテンダーをやっていた事もあり、その経験はカクテルの提案や自社のバーテンダーコンテストの運営にも役立っています。ロンドン、パリ、ニューヨークなどに行かれた際には是非バーに寄って探してみてください。

<<世界観の参考として記事と映像を見せていただきました>>

毎年ヨーロッパで開催しているバーテンダーコンテストFINALの記事&映像。

記事:http://www.asahibeer.co.jp/enjoy/liquorworld/topics/n67/

映像:https://www.youtube.com/watch?v=8dvX-ZOF5Po

海外出張が多く家をあける事も多いですが、国内にいる時は陽気な妻と元気一杯の息子とハッピーに過ごしています!

渋渋で経験・体験し思い出深いもの。今に繋がっていることなどを教えて下さい

部活(バレーボール部)で学んだ事は非常に多いと思っています。マナー然り、内面的な強さも然り、大切な事を沢山学んだと今でも実感します。

英語の教育も今になってすごく活きていると感じます。8年間アメリカで過ごし、12歳で帰国した頃には完全なネイティブでした。2回目の「英語圏での生活」をする事になったのが29歳の時。社内の研修制度で18ヶ月間オーストラリアの会社で働ける事になりました。実に17年間も英語圏から遠ざかっていたのですが、それでもハンデなく仕事ができるのは、帰国してからの教育のおかげだと断言できます。逆にもし、12歳の日本育ちの子が急に外国に移住して、そこから17年間まったく日本語の教育を受けなかったら、日本語話せなくなると思う笑

受験対策でも、日常のささいな生活指導でも、部活でも。勝ち方や戦い方を教わって覚えるだけではなくて、「どうやったら勝てるか?どう戦うか?」を考えるクセが付くような教育が渋渋でした。当時は実践している実感は無かったけど、なんだかんだ「自調自考」が染みついていて、それが今ビジネスパーソンとして世界で勝負できる土台になっています。

叶えたい夢や目標、在校生に向けてのメッセージを。

仕事で叶えたい夢は、ニッカウヰスキーを“すごい”ブランドにすること。“すごい”にも色々あるけど、僕が考える“すごい”ブランドとは、世界中のウイスキーファンやバーテンダーに心から愛されること。そのためには何をしないといけないのか?マニュアルは無いのでまさに「自調自考」の本領発揮です笑 プライベートの夢は、いつか気の合う仲間と「最高の空間」を創って、自分も周りも、後継者もみんな超ハッピーになること。どんなジジイになりたいか、どんな最高の人生を送るか、そこから逆算してワクワクしながら今を考える事が最高のモチベーションになっています。

渋渋生へ、僕は回り道もしたけど、誰かに地図を求めたりしませんでした。誰かのやり方をなぞるんじゃなくて、参考にしながらも自分で考えて行動するタフさを身に付けてください。渋渋はそれを学べる場所だと思います。

人物紹介
1期生 友吉直紀
国際基督教大学(ICU)を卒業後、フレアバーテンダーとして数々の大会に出場(インタビューでは触れておりませんが)。アサヒビール株式会社国際部にてニッカウヰスキーを世界に広めることに奮闘中。

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