“ロボット業界” そのものが未来
今挑戦していることを、それに至る経緯をお聞かせ下さい
2015年に転職し、ロボットの会社で勤務しています。ロボットと人が共存する社会を実現すべく、ロボット業界そのものの知名度の向上から、海外展開/法人営業/PR全般を実務として行ってます!
大学では、リベラルアーツといって、1,2年次は教養学部で文理問わず様々な分野について勉強したあと、工学部のシステム創成学科に進学し、環境エネルギー政策や世界の資源配分、経済と資源の関係性に関して研究しました。この時、エネルギー政策について、研究予算の多寡によって、研究の発展するスピードに影響があることを知りました。そこで”国”に興味を持ち始めたんです。
2009年に総務省(旧自治省)に入省しました (当時リーマン・ショック後の大変だった時期) 。初めの1年間は佐賀県の行政に触れ、首都圏生まれ渋谷育ちでは体感しづらい、国の政策の地方への影響など、国と地域の結びつきを体感すると同時に、社会貢献への気持ちが高まりました。 大企業も勿論良いけど、裁量のあるところで働きたくて、今の会社に。人が少ない分、業務も多岐に渡っていて毎日充実しています!ロボット業界に興味ある方、是非一緒に働きましょう!
私生活は…30歳を目前に、最近結婚しました。笑
どんな学生でしたか?渋渋で印象的なことは?
研修旅行の旅程を生徒自身で考えて組んでいたことは、今思えばとても特徴的なことでした。その自主性が今でも活きているなぁって。
高校1年生の時に全国共通の予備校の模試がありましたよね?その時にまだ志望校というイメージもなく、先生に言われるがまま、冗談で志望校の欄に「東京大学」って書きました!今思えば予備校が東大コースに入れたいだけだったかなと思います。その時ほとんどの子が東京大学A判定だったんですよ!でも、高校2年生、高校3年生の時とA判定が変わらなかったので、興味のあった教養学部理科Ⅱ類に進学しました。
中高の頃は漠然とした未来像しか無くて、アルバイトの時給が高いから”薬剤師になる”みたいな、その時のその環境の中にある常識の中で生活しているような子でしたよ。
在校生へのメッセージをお願いします!
「日本が世界に必要とされる国」になるためには、「日本人それぞれが世界で必要とされること」が必要だと思います。渋渋生は、みんな自己主張があり、国際色も強いので、そのままのびのびと自己実現して欲しいと思っています!
加藤さんとコンタクトを希望の方はコチラ
問合せフォーム