挫折から解かれた絵画の封印
今どんな活動をされていますか?また中学からの経緯を教えてください。
画家です。銀座の画廊や百貨店、国外のアートフェアなどで作品を発表しています。今でこそ絵を描いていますが、高校で挫折してから筆を持たない生活が約10年ありました。
美術の道に行きたいと思ったのは中3の時で。美大進学を相談したら親に「何言ってるんだ!それなら渋渋やめちゃいなさい!」と言われましたね。
それを2年間説得して美術予備校にやっと通えることになってからは、さらに絵に夢中になっていきました。ところが毎週、講評の度に吐きそうになるんですよ。他人の絵と自分の絵を比較されるから。泣くこともあった。あの頃は絵を否定されると自分を否定された気になっていました。それで「もう耐えられない!」と思って絵画の道は挫折。挫折というより逃げですね。傷つきたくなかったんです。その代わり、美術と企画の両方で戦えるデザインを進路に選びました。
大学生や社会人になってからも絵は封印していました。ところが20代半ばを過ぎた頃、ある画廊の展示をたまたま見る機会があって。そこには同じく20代の画家の作品が展示されていました。私の選べなかった道を、同世代の彼等が必死に歩んでいる。目の覚める思いでした。そうした経験からもう一度挑戦したい気持ちを抑えきれなくなって、再び絵を描き始めたんです。
渋渋での経験や体験で思い出深いものはありますか?
私、行事の中心にいるようなタイプじゃ全然なくて・・・。先生に「窓辺でレース編んでそう」と言われたことがある位、隅にいそうな雰囲気だったので。
文化祭や合唱コンクールもやっぱり気分が乗らないんですよ。でも、渋渋は「自調自考」なのでアグレッシブな子が多い。最高のもの作り上げるぞ!ってみんな全力なんですよね。その渦に巻き込まれて、あれっ、自分も頑張っちゃってるぞみたいな。
それに、目立たない裏方の仕事でも見てくれている子はいるんですよね。「すずめちゃんいてくれたから助かったよ」って言ってくれたり年賀状に書いてくれたり。嬉しかったですよ。皆で何かやり遂げることの充実感を味わうことができたのは、周りの友達のおかげに他なりません。
ちなみに「内田は窓辺でレースを編んでそうな奴だと思ってたけど、違ったんだな」というのは上田先生の言葉です。色々悩み過ぎてワーッと泣いていたところを個人的に面談して頂いたことがあって。本当の私を理解しようと、真剣に会話して下さいました。今でも感謝しています。
今の想いや、在校生へのメッセージをお願い致します。
コミュニケーションの基本は「誰に・何を・どう伝えるか」です。私は「世界中の誰かに・自分の喜びや苦しみ、あるいは疑問を・絵画で伝えたい」と考えています。そして心を動かしたい。受け取られ方は感動や共感、もしくは嫌悪でも良いんです。何か考えるきっかけにさえなれば。これを達成するためには国外でも発表したいですし、より社会的な問題を内包した作品も制作して行きたいです。
中学高校の間は、沢山失敗をして下さい。いつも70点をとるやり方、これを長期間継続できることは凄いことですが、今は0点の失敗を沢山するべきです。そこで学び反省したら、次は120点をとることができます。失敗した後の立ち直り方も身につきます。
そして今なら本気で叱ってくれる先生とけんかできる友達がいます。叱るというのはエネルギーの要ることです。優しくするだけなら簡単ですが、叱るには何故その行為がいけないのか伝える言葉を考えなければいけません。叱って嫌われる恐れもあります。だから、真っ当に叱ってくれる相手はあなたのことを真面目に考えてくれている人です。
私は挫折と回り道をしてここまで来ましたが、後悔はしていません。全ての経験が今に結びついています。今は回り道に思えても、実は回り道でなかったと思える日が来るよう何事も一生懸命頑張ってください!
内田さんとコンタクトを希望の方はコチラ
問合せフォーム