中学時代の夢は”月バス”の記者

9期生 中村 麻衣子
漫画「スラムダンク」や大神選手に憧れ「月刊バスケットボールの記者になりたい」と中学生の頃から宣言した彼女が今「月刊バスケットボール」の編集者であること。疑う余地のない凄さに「凄いね」「羨ましい」という表現だけで近づいてはいけない気がした。終始笑顔で「たくさんの人の心を動かす編集者になりたい」と語った彼女は、夢を叶えた今も、夢に夢中でした。やっぱり、羨ましいかも笑

渋渋卒業から経緯と今を教えてください。

雑誌『月刊バスケットボール』(日本文化出版)の編集者をやっています。小学生からNBA選手まで、いろいろなカテゴリーのバスケットボール選手を取材し、原稿を書き、時に写真も撮り、レイアウトを考え、雑誌にまとめるのが仕事です。編集長も含めて編集部員は現在6人で、入社3年目の私は最年少の下っ端です。毎日取材や原稿と格闘し、試行錯誤しながら、より面白い雑誌を作ろうともがいています。

バスケ部だった中学時代から、将来の夢は“月バス(月刊バスケットボール)の記者”だと宣言していました。高3で進路に悩んでいたときに会社にメールを送り話を聞かせてもらい、学業の大切さを再認識し受験に専念。そして大学生の頃からアルバイトをし始め、本当に幸運にも内定にこぎつけました。

取材で全国各地を訪れるので、たくさんの人に出会えるのがこの仕事の良いところです。また、取材すればするほど、競技そのものだけでなく、その人の心や成長とも向き合うことになり、ますます深みを感じています。それをどう捉え、どう形にして伝えるかは自分の腕次第。バスケットボールの面白さや、それに関わる人たちの魅力を多くの人に発信できるところに、とてもやりがいを感じています。どんどん楽しくなってきていて、今が一番楽しいと思えてます!

渋渋時代に印象に残っている経験はありますか?

渋渋での6年間は、本当にバスケ一色。同級生は4人でいつも1回戦負けの弱小チームでしたが、四六時中バスケのことを考えているほど、部活に夢中でした。高1の春にアキレス腱断裂のケガも経験し、たくさん悩んで泣いたことも、今では良い思い出です。大切な時間を共有した先生たちやチームメイトには、本当に感謝しています。

また、印象に残っているのは、高3の頃に受けていた放課後週1回の小論文講座。当時は、中井浩一先生という国語専門塾の方が来てくださっていたのですが、小論文講座というより、考える力を鍛えるトレーニングの場だったと思います。考えることを放棄して薄っぺらなことや無難な建前を書くと、中井先生にすぐ見破られ、「バカ!」「下手くそ!」と罵られました笑。モヤモヤした自分の考えと根気強く向き合い、借り物ではない自分の言葉で言語化する訓練は、とても勉強になりましたし、中井先生がいなければ、間違いなく一橋の後期試験(小論文と面接)には合格できなかったと思います。

これからの夢と在校生へメッセージを。

今後の夢は、“たくさんの人の心を動かす編集者”になること。そのためには取材力や文章力、構成力など、磨かなければいけないポイントがたくさんあります。それらは一朝一夕で身に付くものではないと思うので、日々の取材で「これを伝えたい!」と熱くなったり、「もっと良い見せ方は?」と悩んだりしながら、いろいろ吸収して、スキルを積み重ねたいと思っています。

渋渋生に向けて。高校時代の私はよく、他人と比較して落ち込んだり嫉妬心に悩んだりしましたが、次第に「人は人、自分は自分」と言い聞かせて気持ちをコントロールするようになりました。自分の人生なので、他人との比較ではなく、自分の“好き”を信じて突き進んだ方がいいと思います。以前、元陸上選手の為末大さんが「努力は夢中に勝てない」と言っていましたが、まさにそうだなと。“〜しなきゃ”という義務感の努力ではなく、周りが見えなくなるくらい没頭できるものを見つけて、突き進んでください。

ただ、好きなものに突っ走るためには、家族をはじめ周りの理解がなくてはなりません。だから自分の“好き”で完結させるのではなく、それを通じて、たくさんの人に恩返しをしてください。私もまだまだできていませんが、とても優秀で積極的な今の在校生なら、世界を股にかけて社会をグンと良くすることができると思います!

人物紹介
9期生 中村 麻衣子
一橋大学社会学部を卒業後、日本文化出版株式会社にて「月刊バスケットボール」の編集者。小学生の大会からステフィン・カリーの取材まで、Bリーグで盛り上がりを見せるバスケットボール業界を更に盛り上げるべく奮闘中。

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