チェコのプロバレエダンサー

8期生 森田 りえ
挑戦はいつも一人じゃない。彼女のインタビューからは志と共に、仲間や教員そして家族の姿が多々見ることができる。"自分に正直にいる"こととは、決して利己的なことではなく、周りの多くの人と共にあることを教えてくれました。「渋渋時代に遥か遠い夢のような場所だと思っていたところに、今いる」なんでしょう、私これ読みながら少し泣きました笑

大学卒業後から現在に至る経緯を教えてください。

今はチェコにある劇場のバレエ団に所属し、ダンサーとして働いています。 劇場ではバレエのほかにもオペラやミュージカルがあり、私たちバレエダンサーは、もちろんメインはバレエの公演ですが必要ならばオペラやミュージカルにも出るので公演数は多いですね。

バレエは5歳のころからやっていましたが、趣味のひとつと言いますか、将来この道で生きたいと思ったことは一度もありませんでした。それくらいダンサーになるということは特別な才能を持ったごく一部の人がなれるものだと思っていましたし、自分はそういう人間でないということは一番最初から心のどこかにあったのだと思います。

渋渋は進学校ですし、みんな高校2年生くらいから真剣に将来について考えていました。私もなんとなく建築関係の道に進みたいなと思っていたので、高校3年生のクラスは国立理系クラスを選択しました。受験のこともあり、バレエは高校3年生の春で一度辞めて受験勉強に専念し始めましたが、塾に毎日通い始めたころ自分の変化に気づきました。5歳から10年以上続けてきたバレエを辞めることになった瞬間、自分の中に何かぽっかり穴が開いたというか。本当に何にもやる気が起きなくなってしまい、その時初めて自分にとってバレエというものの存在の大きさに気が付きました。周りもそんな自分に気づいてくれ、自分の気持ちを周りや先生に聞いてもらい、バレエの道に挑戦することを決めました。とはいってもあくまでも気持ちは“挑戦したい”です。自分のレベルがダンサーとしてやっていけるほどのレベルだとは思ってなかったので、とりあえずその年だけ海外のバレエ学校のオーディションに挑戦し、それですべて落ちたら次の年勉強してちゃんと大学に行く、そういう考えでした。とにかくやらずに諦めるのがいやだったんです。

それからはとにかく必死でした。それまで全く考えてなかった道なのでまず何をしたらいいのかも分からず、本当に無我夢中でしたね。受けられるバレエ学校を捜し、オーディションビデオを作り何か所かに送ったところ、運よく合格することができました。

そこから1年半ほどドイツにある小さなバレエ学校に通った後、再びオーディションをしてドイツの国立大学にあるダンス科に3年間通い、卒業後バレエ団の就職活動をし、運よくチェコにある今のバレエ団に入団できました。今ちょうどダンサーとして働き始めてまる4年が経ったところです。

渋渋の思い出を教えてください。

渋渋時代の思い出は“楽しかった”の一言につきます。私の考え方、性格、今の人格すべてを作ったのは間違いなく渋渋時代です。本当に毎日楽しくて仕方がなかったですね。よく廊下で騒いで先生に怒られていたのを覚えています。部活もやっていましたし、飛龍祭委員や体育委員になって、飛龍祭やスポーツフェスティバルもめいっぱい楽しみました。今思えばいつバレエをやっていたのだと思うくらい、すべての行事に全力で参加していました。

また1番心に残っているのは、高校3年生の2学期の終わりの学年集会で、卒業するための出席日数が足りる高校3年生の2学期を終えてドイツに行くため卒業式には出席できない私のために、小さな卒業式のようなものを8期のみんなが内緒で企画してくれたことです。8期の先生方手作りの卒業証書もくださいましたし、友達がビデオレターのようなものを作ってくれていてDVDをプレゼントしてくれました。本物の卒業証書も持っていますが、私にとってはその手作りの卒業証書の方が何倍も嬉しく価値のあるものですね。今でもチェコの部屋に大事に飾ってあります。

今思うのは周りの友達や先生には本当に恵まれていましたし、いろんな場面で助けられました。特に進路を決める際、たくさんの友達や先生方に背中を押していただきました。渋渋は進学校ですが、大学進学という選択をしようとしていない私の背中を強く推し、励ましてもらいましたし、バレエの道に反対する親への説得も一緒になってしてくれました。今でもあの時の周りの人たちがくれた力はすごいものだったなと思っています。それくらい渋渋は先生方が親身になって応援してくれるとてもいい学校だと思います。

また、帰国生が周りにいたことや、オーストラリア研修やイギリス研修、中国研修などがあったことで海外というものに慣れていたのはとても大きなことだったなと思います。あの経験があったからこそ最初にドイツに行くときもそこまでの恐怖心はありませんでした。

いまでも渋渋の友達や先生方とはよく連絡を取り合いますし、特に私の周りの友達はいろんな分野で活躍している人が多いのでとても刺激になります。帰国したときは友達に会ったり学校に遊びに行って先生方に会ったりもしますね。やはり私の原点は渋渋であり、変わらずに応援してくれる人が日本にいるというのは海外で一人で頑張る上でとても支えになりますね。

これからの夢と、在校生へメッセージを。

8月中旬から私にとっては5年目になるチェコでの生活が始まりました。今のバレエ団は1年ごとの契約更新なので、またその次の年にそこで踊っていられるかは正直わかりません。いつ怪我をするかもわかりませんし、契約を切られる可能性だってあります。また自分がもう踊りをやめたくなる時だって来るかもしれません。自分が渋渋時代に今の自分を1ミリも想像していなかったように、もしかしたら今想像もできないようなダンスよりも好きなことができてやめているかもしれません。未来とは本当にわからないです。ただ一つ言えるのは、今私がいる場所は9年前はるか遠い夢のような場所だと思っていたところだということです。

在校生に言いたいことは一つです。

夢は叶います。

確かに100パーセント、全員が全員完璧に夢をかなえるのは難しいでしょう。私も今ダンサーとして生活できているという意味では夢は叶いましたが、まだまだ100パーセントかなったとは言えないですし、今後完璧にかなう自信は正直ありません。でも私は、夢は叶うと言いたいです。もちろんそれには相当な覚悟や努力が必要です。夢が大きければ大きいほどかなうまでの道は長くて険しい、そんなのは当たり前です。でもそれでも頑張った先には何かがあると思います。途中で挫折してしまっても夢に向かって頑張った時間は決して無駄にはならないし、頑張った時間は自信になります。そして頑張った姿は絶対に周りは見ていてくれるし、それによって何か違う世界に繋がることもあります。

進路について考えたとき何も思いつかなくても焦らずじっくり探して欲しい。1年や2年迷ってふらふらしても長い人生の内ではたった1年、2年です。夢とまでは言えなくてもちょっとでも好きと思えるものの方向に進んでほしいです。それがもし少し変わった道だったとき、周りは心配したり何か言ってくるでしょう。自分も不安になると思います。でも決して不安に負けないでやりたいと思う方向に進んでほしい。何か困ったらきっと皆さんのまわりにいる家族、渋渋の先生方、友達が助けてくれます。

人生は長いようで短い、でも長い。いろんなことにチャレンジしたもの勝ちです。ぜひ、ゆっくり進路について考えて面白い人生を選択していって欲しいし、これからの自分もそうでありたいと思っています。

人物紹介
8期生 森田 りえ
渋渋卒業後、1年半程度ドイツにあるバレエ学校へ、その後マンハイム国立音楽舞台芸術大学ダンス科(ドイツの国立大学)を卒業。現在はチェコにあるバレエ団へ所属。プロのバレエダンサーとして活躍している。

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