誰にも流されず、自分なりを貫く

10期生 三浦 健之介
彼の言葉には強い説得力がある。羊牧場を自ら選んだ留学経験や20ヶ国以上のバックパッカー生活、運動部の兼部、カポエイラというスポーツの選択。意識なくして選択できない道を彼は歩き続けている。流されない人は、流れを知っているということを私たちは知っている。10期生初登場です。

大学卒業後から現在に至る経緯を教えてください

新卒で株式会社電通に入社しました。

志望理由は、プロパガンダの様な超大規模な情報操作に興味があり、もし自分が世に出る情報を取捨選択できたらワクワクできそうだなと思い、それが実現できそうな会社が一つだけあったので志望していました。実際は全く出来ませんでしたが…。

現在は、「ビッグデータを企業のマーケティングに活用しよう!」というコンサル寄りの仕事をしています。指先のルーティーンワークでは無く、自分の頭を使って価値を創造している感覚は気に入っています。

社会人になった今感じていることは、”学生時代に何をしてきたか”の重要性です。僕は器用貧乏なところがあるので、学生時代に何か、ずば抜けた能力や趣味を作る努力をすれば良かったなと、後悔しています。一方で、カポエイラを中心に様々なスポーツに励んだこと(渋渋の体力測定ではだいたい学年1位でした!笑)。高3の夏休みに毎日14時間勉強したこと。バックパッカーとして世界20カ国以上放浪したこと等、多方面にストイックに挑戦した経験は、仕事に忙殺されている時に発揮できる圧倒的なストレス耐性に繋がっている気がするので、良かったかなと感じています。

渋渋時代の思い出深いことを教えてください

高1の時に1年間留学に行ったことです。当時英語は学年最下位を取ったことあるほど苦手だったのですが、英語が苦手だからこそ見える景色があるはずだと思い、留学を決断しました。また僕は田舎の生活に憧れていたので、ニュージーランドの羊牧場を選び、結果140ヘクタールの牧場で4,500頭の羊と犬と猫と鶏と豚と暮らすことが出来ました。

現地では、ひたすら自分なりの留学を追求していました。日課で羊相手に羊の鳴きまねを練習したこと。日本の家族や友達との連絡を断ち、日本人のいない学校に転校して日本語に触れない環境を作ったこと。滞在期間中1回も髪を切らなかったこと等、今考えると少し本質とずれていた様な気もしますが、全部自分で考え自分で行動していました。でもその結果僕が「メェ~」と鳴くと羊が「メェ~」と返事してくれたり、帰国後ひさしぶりに日本語で会話をすると途中から英語に変わってしまったり、髪が長すぎて滞在先でのあだ名が「SAMURAI」になったりと、自分だけの留学生活が送れたと自負しています。

渋渋は成績が悪かった僕を快く留学に行かせてくれた上、帰国後も勉強が1年分抜けているにも関わらずサッカー部とバレーボール部を兼部しながら、国立理系を目指すことを許してくれました。僕のことを信じて温かく見守って下さったこと、感謝しています。(見放されていただけかもしれませんが…笑)

在校生へ向けてメッセージを

「勉強サイボーグにはならないで欲しい。」ですかね。

学歴はとても大切です。自分にとってより良い環境を勝ち取る努力は怠ってはいけないと思います。でも、今僕が会いたい渋渋の同期は、単に東大に入った人では無く、女の子と話をするためにカントリーマアムを配り歩いていた男子や、教室の隅で5,000ページくらいある生物の本に噛り付いていた女子です。当時は理解不能でしたが、誰にも流されず自分なりの中高生活を貫いていた人は、社会人成り立ての今キラキラしているような気がします。

渋渋には確かに才能に秀でた人が沢山います。でもそれにつられて皆が皆、立派になる必要は無いと思います。たとえ誰にも理解されなくても、自分で考えて自分で行動する。その習慣を早くに身に付けた人ほど、大人になってからキラキラしていると思います。渋渋はそういう人を温かく見守ってくれる学校です。そして、それこそ田村校長先生が仰っている「自調自考の精神」だと僕は解釈しています。

渋渋の凡人代表として、後輩にこれを伝えたいです。

人物紹介
10期生 三浦 健之介
渋渋卒業後、早稲田大学創造理工学部建築学科を経て株式会社電通に入社。世界20ヶ国以上の放浪経験や留学生活で経験したストイックさを活かしつつ、現在はビッグデータを活用した企業のマーケティングに従事。世界に影響を与えるべく広告業界で奮闘中。マイナースポーツの普及活動も行っている。

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