わからないことをわからないと言える大人に

1期生 松宮純恵
日本ではまだ珍しい女性副操縦士。初代飛龍祭(高校学園祭)実行委員長。東日本大震災の体験からボランティア活動も積極的に行うなど、行動力抜群の彼女。その原動力や在校生・卒業生に向けての想いを聞いてきました。

今現在、何をされていますか?

 今は月20日程の勤務で副操縦士としてフライトや、後輩の育成業務をやってます。仙台に住居を構えながら、東京など、各地に滞在する機会があり、どこにでも行きたいような私にはその部分に関しては向いていると思います笑 仕事とは別で、花火大会の企画やビーチイベントなどもしてます。きっかけは東日本大震災があって、仙台空港が被災した時に仕事が半減したんです。現地にいたのに出来ることがなくて、自分の無力感を痛感して、それでボランティアを。亘理町のボランティアセンターで始めました。震災の2年目、3年目から花火大会の実行委員もするようになって、今でも”誰かのために”って想いから現地でのイベントをお手伝いしています。

 もともと高校の時は大学には行かないと、実は思ってました。音楽の仕事をしていくと漠然と思っていて。ひょんなことから東海大学の航空宇宙学科に入学して、最初オーロラなんかの宇宙環境科学を学んでいました。学んでいるうちに宇宙工学が楽しくなってきて、気づいた時には空に(笑)とにかく、どこまでも目の前にあることを全部やっているようなそんな大学生活でした

渋渋在校時に経験したこと、思い出など教えて下さい

 飛龍祭の第一回の実行委員長が思い出深い経験です。前例がない中でやったことのない、そもそもどういうものが文化祭なのか分からない中でつくりあげていく体験は今でも財産になってます。1年目は夢中になりすぎて細かいこと覚えてない位一生懸命やっていました。それまで人に任せることのできなかった自分が、2年目には後輩に業務をうつした経験とか。案外今の仕事のベースとしてつながっているんです。会社の中で後輩育成に関わるようになってからですが、教育につながっていると思っています。その人のいいところを活かすこと。これってものすごいやりがいなんです。

これから挑戦したいこと。渋渋生へのメッセージをお願いします

 今は機長になること。それまではなんでもやりたがりの人だから、一個のものに全てを注げる瞬間なんてそう持てるものでもないので、一個これをやった、と思える事をやり遂げたい。まずは機長になる。

 私達の相手は天気で、地球で。ある程度予測はできるけど、予測通りにはなかなかいきません。生き方も一緒で、何がおこるか分からないけど、何かがおこっても対応するし、新しく何か探したいときはまた新しい目的地を探していくっていう。それがどこに行き着くかは、未だにわからないです(笑)転がるのが好きなのかも。偶発的に出会ったもので自分がどうなるのかを、自分自身実験体にして、体験し続けるんです。機長という目標が、小さな頃からの夢でというのではない分、小さな頃からの夢を叶えたり叶えようとしている人を羨ましいなとも思ってますよ。けど自分がならないものになろうとしても仕方ない。

 大人は目標を持てというし、大志は探さないと見つからないかもしれないけど、探して見つかるものでもないから、その過程をいかに自分のものにして楽しむか。そんなことを大切しています。おとなになってから夢って言葉に対して難しさを感じていて。例えば今は、海のど真ん中でノンアルコール・ビールで皆で乾杯したい。それが今の夢です。本気でやろうとした時は夢から目標に変わっちゃうんですけどね笑 ほら難しい。

 何者にでもなろうとする必要はないし。自分がほんとうの意味で、肩の力が抜けるようになってきた。自分にあった生活を今は求めていて、何者かになろうとする必要は本当に無い。後輩や子どもたちに「やっていいよ」っていってあげられる大人で居続けたい。わからないことをわからないって言える大人でいたい。

人物紹介
1期生 松宮純恵
横浜出身。渋渋卒。東海大学航空宇宙学科卒業後、数年の海外での実習を終えアイベックスエアラインズ株式会社に入社。 日本では数少ない女性副操縦士として活躍中。操縦士を目指す。また個人的にイベントの運営サポートも数多く手掛ける。

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